几帳面の憂鬱を几帳面に語る

几帳面な自分だからこそ、自分がいかに几帳面かということを几帳面にここに記帳しておこうと思う。

几帳面な自分にはずぼらな奥さんがいる。
奥さんは服は平気で脱ぎっぱなし、出したものは片づけない、掃除もあまりしない。
一人暮らしが長ったのもあるかもしれないが、
こういうのがたまってくると、几帳面はさらに几帳面になり、今まで気にならなかったことも気になるようになる。

例えば・・・
・縦方向に置くとちょうどスポンジ置きに嵌るようになっているスポンジを横に置かれるだけで気になる
・テレビや空調のリモコンも、長い順に並べたくなる
・サンダルをはいてベランダへ出て行った帰り、そのサンダルの向きを逆に脱いだまま部屋に戻る
・洗濯後洋服を裏返して干しているが、しまう時にそのままクローゼットに入れる
・普段と違う靴をはいて出かけた時、別の靴も玄関に出しっぱなし
・たまに掃除をしているのも見ても、自分とやり方が違うと気になってしまう(あそこまだ拭いてないなー、等..)
・手を拭いたあとにタオルが斜めにかかっている
・『何かに使えるんじゃないか?』と、あまりものを捨てられないのを見ていると、つい捨てたくなる(絶対使わないのに・・)
・トイレのトイレットペーパーがほんの少しだけ残っているのを見ると、自分で交換したくないからわざと少し残したのではないかと疑ってしまう
・プレゼントを贈ってもすぐに置きっぱなしにして、なぜか買った方が片付けまでしてあげる
・ドライヤーのコードの巻き方向が自分とは逆で、使う時にいつも使いにくくて巻き直す

几帳面だと、一度でも掃除をすると、次回もその場所は必ず掃除をしないとなぜかスッキリしなく、だんだんと掃除をする場所も増えてくる。
葉っぱの上の埃すらも気になって、毎回拭くようになってくる。
おそらく完璧主義者に似たものがあるのだと思うが、こういうのを損な性格なんだろうなぁとつくづく思う。

でも、そんな性格でも悪いことばかりでは無い。
なぜなら決して他人には強要したりしないし、自分でやることに対して少しも嫌だと思わないからだ。
むしろ二人とも同じようにやる人間だったら、少しの考え方や物の置き方の違いでぶつかってしまう可能性もあるので、
むしろ性格がま逆のほうがいいこともたくさんある。

しかも、例えば奥さんの目の前で奥さんのサンダルを整えたとしても、ウチの奥さんはそれを見て嫌味だとも何も感じない。
それはそれで得な性格なんだろうなぁとつくづく思う。

やる人とやらない人、得する人と損する人、気にする人と気にしない人。

でもそんな二人は今も意外にすごくうまくいっている。

老後のためにプログラミングの勉強をしているのに

私は55歳になる会社員で、大手電気メーカーに勤めています。私は、もともと、半導体設計が得意なエンジニアでしたが、不況のあおりを受け、その仕事も無くなってしまいました。そのため、現在はC++言語を中心としたプログラマーとして仕事をしています。私の会社の定年は60歳です。しかし、私の住宅ローンは65歳まであるのです。当初の計画では、60歳までに前倒して繰り上げ返済をして経済的に楽をするつもりだったのですが、私の妻は浪費家でした。しかも、子どもたちが小学生のうちに貯蓄をすべきなのに、全く貯蓄をしなかったのです。
そのため、子どもたちが受験の年になるとたちまち家系は火の車となりました。つまは、それを全部私の収入が少ないためだと非難し、自分には全く責任がないと言います。実は、妻は自閉症スペクトラムなのです。そのため、全ての事象を人のせいにします。心理カウンセラーからは、そんな人とは離婚しなさいとアドバイスを受けましたが、せめて子どもが成人するまでは離婚はしないほうがいいと考え、離婚せずにいます。
ちょっと話がそれましたね。私は、定年後も働かなければならないため、プログラミング技術を向上させるために努力をしています。会社では、Windowsマシンにてマイクロソフト純正のプログラミング環境にてプログラミングをしています。しかし、私の家にはMacしかないのです。マイクロソフトも、やっと、Mac用にVisual Studioを出してくれました。早速インストールしたのですが、私の専門言語はC++なのですが、Mac用の開発環境ではC#(マイクロソフトオリジナル言語)しか対応していないのです。しかたないなとおもい、C#の学習をしていますが、C#は、Widowesマシンでの開発はとても容易なのですが、Macの場合はとても難易度が高いのです。同じクラスを使えるようにして欲しいと文句が言いたいです。マイクロソフトっていったい、どんな考え方をしているのでしょうか。昔からそうですが、マイクロソフトの方針には好感が持てません。

労働局に社長のセクハラを打ち明けたんですけど

 大概の場合は、すぐにでも改善して欲しいからこそ通告するものだと思うので、ここの“どうしたいか”なんてワンクッションはほぼ無いと思いますが、私の場合は特殊ケースなのか、優先すべきは“セクハラで訴える事”であり、監査は二の次だったりするので、すぐにはお願いしなかったのです。
 ただ、私が正式に何かしらの訴えを起こした際に相手(社長)が応じなかった場合は、この通話記録を元に間に立ち入って、あくまで公正な立場としてとはいえ仲介をしてくれる……といった事を教えて頂けました。
 想像ですが多分、この仲介時に相談窓口を設けていない義務違反のせいで不当な扱いを受けて~……という感じで叩いてくれるのではないでしょうか。

 そして肝心かなめの弁護士さんへの相談……もう、ほぼ依頼になると思いますが、こちらはまだ連絡が付いていないのでいつか機会がありましたら社長や会社の顛末と共に書ければと思います、という尻切れトンボな終わり方で失礼し、まとめに入らせて頂きます。

 セクハラもパワハラも、ドラマなどでは最後にスカッとする仕返しありきで描かれますが、現実にはなかなか言い出せずに泣き寝入りしてしまう事が多いものです。
 筆者も別件で泣き寝入りさせられたことは山ほどあるので、そちらの方が現実的という事です。
 けれど、やはりそういった悔しい思いこそがバネになり、今回は最初からあきらめずに可能な限り立ち向かってみようと思い立ったわけです。
「証拠が無い」と諦めてしまった事があるので、録音という証拠を残すことに努めたり。
「この程度で……」と言い出せずに胸にしまい込んでしまった経験が何度もあるので、自分で程度を決めつけないためにまずは些細なことでも周りに相談するようにしたり。
過去にもバネになるような苦い経験を持っておらず、今回初めての経験に戸惑っている方でも大丈夫です、何をどうしたら良いのか分からないでしょうが、そういった人のための記事でもありますから。
共に苦境を逃げ出せたらと……そう、願います。

このような悪縁切りには、縁切りに強い占い師に相談しよう

ベテラン占い師が多く在籍している電話占いは、霊視透視術・スピリチュアル系を始めタロットカードや四柱推命・風水などの占術で鑑定してくださいます。

様々な相談内容に対応可能ですが最も人気なのは、略奪・復縁・禁断の恋を含む恋愛のお悩み全般です。

不倫や略奪を快く思わない占い師の方もおられますが、電話占いの占い師はどの様な形の愛でも親身に受け入れてくださいます。

強い想いさえあれば厳しくとも道があると仰っしゃる方ばかりですから、人には相談しづらいような内容の悩みでも不安なく打ち明けることができるのではないでしょうか。

電話占いの縁切りは電話を切ってから行われるので、鑑定中は悩みの根本的原因を知ることに気持ちを向けるようにしてください。

参考になるアドバイスの数々をしっかり胸に留める時間はきっと価値あるものになるでしょう。

どんな些細な相談でも快く受けてくれるので、本当に懐が深く愛情あふれるお人柄の持ち主ばかりです。

縁を切りたい人がいる、悪縁を断ち切って新たな恋に向かって進みたい人は電話占いがおすすめです。

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力強い励ましに見送られて

2012年の2月から3年間、都内の就労継続支援B型の施設に通所していました。そこで大好きな点字に関わる仕事ができたことを、今でも嬉しく思っています。
点字の本が完成した時の喜びや点字の間違いを修正していく時の緊張感は今でも忘れられません。
サポートをしてくださった施設職員やボランティアの方にも感謝しています。

中学生の頃からやりたいと思っていた仕事だったので、やりがいはあったのですが、時が経つにつれ、イメージしていた職場と違うなと感じるようになりました。
障がいの程度に合わせて、点字の仕事以外にも何か任せていただけるのではと思っていたのです。
職員との面談でもっといろいろと任せてほしいと伝えたこともありましたが、今思うと、もう少しやる気が伝わるような姿勢を見せれば良かったです。

やりがいはあるけれど、5年後、10年後を考えた時、このままで良いのだろうかと思い始め、再就職に向けて歩き出そうと決めました。
通所を決めた時、当時施設長だった方が「3年くらいで次のステップに進んでほしい」とおっしゃっていたので、ちょうど良かったのかもしれません。
当時は気が早いよと思っていたのですが、「早いうちから将来を考えなさい」と伝えたかったのかもしれませんね。
職場へは少しずつ再スタートしたい旨を広めていきました。
仕事の引継ぎがあったので、自分が働いているフロアへは1ヶ月前に伝え、他のフロアへは退所する数日前に朝礼で話し、お会いできなかった方へは手紙を書きました。

「あなたならそういう道を選ぶと思っていた」、「寂しくなりますね」、「頑張ってね」、「まだ若いのだし大丈夫よ」・・・。
温かい言葉、力強い励ましをたくさんいただき、胸が熱くなりました。
すし詰め状態の電車内に耐えられなくて、何度も涙を流したけれど、通い続けられて良かったです。

2015年10月、就労移行支援施設に移り、就職に向けて再スタートしました。
2ヶ月前から見学や体験で通っていたので、緊張はしませんでした。
企業実習で失敗したり、就職先がなかなか決まらなかったりで、落ち込みましたが、今の仕事に出会わせてくれた大切な場所なので感謝しています。
あの時、一歩を踏み出していなかったら、自分の特技を活かせる仕事に出会っていなかったでしょう。
そして、落ち込んだ時は前職でお世話になった人たちからの言葉を思い出して進んでいきたいです。

友だちはターニングポイントになる

人生のターニングポイントは、誰でも訪れるものです。いくつかの転機がきっかけになり、おこるものであると私は思います。
人によって、ターニングポイントにうまくのれた、のれなかった差は、あります。
気がついて、ターニングポイントのなみにのれるかです。

私の場合はどうかというと、今のところは成功していると思います。まだ人生50年なので、成功したと言えませんね。
でも、これまでの人生の軌道は、よいターニングポイントにのれています。
私は、ものごとがスムーズに進んでいると、いい軌道だと思って選択しています。ものごとがスムーズに進んでいないと、間違っている軌道だと思い、修正をしてきました。たまにうまくことが「怖い」と思うこともありますが。

その中で一番、成功したと思えるのは、友人関係です。私は、たくさんの友人に助けられています。
私は、子どもの頃から親もとを離れ、リハビリ施設で生活していました。そのときに「友だちは、たくさん作りなさい。将来、役に立つ」と父に言われました。親友というふうには言えませんが、信頼して相談できる人たちはいます。なるべく出かけていろんな人と交流するようにしています。車いすダンスを通して知り合った人たちもいます。
友人の中で不思議な縁がある人もいます。
子どもの頃、同じ施設で生活したことがあり、成人してから知り合いになりました。それでいろんなことを話していくと、親近感がわいてきます。

私の周りにいる友人たちは、全員いろんなことに挑戦し、多趣味です。一所懸命に楽しんでいます。私は、友人たちをみて「やってみよう」と意欲がわいてきました。私にいい影響を与えてくれています。

スピリチュアルの世界では、自分に必要な守護霊を集めると本に書いてありました。「類は、友を呼ぶ」という言葉があるように現在の私には、『こんな友人たちが必要です。』といわれているような気がします。友人によって悪い方に運がいってしまい、破滅してしまうこともあります。これも「類は友を呼ぶ」という言葉に影響があると私は思いました。
友人にばかり頼らず、自分の人生を歩んでいれば、切磋琢磨できて信頼できる友人が自然と集まってきます。私は、こうしてきました。自信があります。

近年では、FacebookやInstagramなどのSNS上で友だちを探す人たちがいます。同じ趣味や同じ推しのタレントさんのグループのルームに入って気の合う人を探すのが、定番になりつつあります。でも、私は直接あって話し合ったうえで友だちになりたいです。
いつまでも、切磋琢磨できる友人を探したり、つきあいを続けたりして関係を築いていきたいです。

母親と私の過去と現在

気がつけばしばらく実家に帰っていない。帰るというか通勤途中に実家があるけど顔を出していないというか。結婚当初は母親から様子を窺うメールや電話があったけど、さすがにもうそんなこともない。もともと私はお喋りな性格じゃないから、実家にいるころから親と話すことがなかったんだよね。母親は寂しいみたいで、よくだれだれちゃんは学校であったことを話すのにあんたは何も言わない、って怒られてた。そう言われても、話すようなことがないから話さないだけでさ。逆にそんなに親にべらべら喋ることってなんなんだろう。友だち親子とか仲良しな人たちもいるけどね、私はよく理解できない。彼氏のことを相談するとかさ。うちの親は過保護だったのかな?そうでもないと思うんだけど、なんとなくウマが合わないというか、性格が合わないというか。なんでだろう。虐待されてたとか全然ないんだよ。ただ、いわゆる親の愛情がうざいとは思っていた。贅沢だよね。学校から帰るって電話すると迎えに行く!っていうから、それが嫌で電話しなくなったりとか。そんなことの積み重ねでだんだん口きくのが嫌になってったんだよね。それはたぶん中学生の頃からで、高校生でがっつり反抗期で、大学生になったらやっぱり自分の意思で全て決めたいと思って、大人になってもそのままだな。結婚して家を出れたときは正直やっとこれで自由になったと思ったもの。子を思う母の気持ちはわからなくもないよ。寂しい気持ちもわかるけど、だからと言って今更歩み寄ることもできないんだよな。タイミングを逃してしまった。次のタイミングは孫ができるとか、不謹慎だけどどちらかが亡くなるとか、そういったときだと思う。まあ人間だからいろいろあるよね。無理して仲良くする必要はないよ。仕事で疲れているのに休日に実家で疲れる必要ないじゃん。と自分に言い聞かせてる。親孝行したいときには親はなし、というけど、私もそうなっちゃうんだろうね。

複雑な四十路オンナの本心

私、もう40代だけど正直、まだ子供も産みたいし、結婚だってしたーい!
誰が聞いたってこの歳だとどっちも微妙でしょ?
だけど、それが私の今一番望んでいること‥。
この歳でも結婚する人なんて全然珍しくないし、出産だって100%あり得ないことではない‥。
ほら!いろんな芸能人の出産や結婚のニュース。
昔より自分と変わらないような年代の人が増えている!
むしろ20代の人の結婚、出産話しなんて最近、耳にしただろうか‥。
それすらも目に入れないようにしてしまったのだろうか‥。
いや、そうではない!
晩婚、高齢出産は確実に増えているんだ!
うん。うん。
いや、目につくだけか?
そんな同年代の幸せなニュースを目にするたび、不思議と会ったこともない他人様なのにどこか心を痛め、どこか光が見えたような嬉しさも感じる複雑な想いが芽生える。
でもあくまでもよそ様の話で自分に起きるか?といえば違うしな‥。
無理に近いし、口に出して言うことができなくなってるかなー。現実問題‥。
そんなこと口にしたらそんな夢みたいなこと‥、今更ってなるよねって‥。
私だって、自分では100%できないって思ってるのが本心だしね。
でも今更、家庭があることの幸せ、子供がいることの素晴らしさをしっちゃったんだもん‥。
もう20年この気持ちになることができたら私はこんなにも強く、願望として持たなかっただろう。
いや!20年前の私は、そんな想いになれなかったから今の私はこのことを強く望んでいるのだろう‥。
20年後の私はどんなことに後悔しているのだろうか‥。
寂しさで押しつぶされそうな気持ちになることも年々増えてきてしまったけど、この穴を埋めるために私はどんなことをするべきなんだろうか。
誰か教えて!と手を伸ばしたいけど、自分の中ではわからないフリをしてずっとわかっているんだと感じる。
私は、ずっとずっと前から今の願望を持っていないフリをしていただけかもしれない。
数ヶ月前に受けた学生時代の友人の妊娠報告。
その話を思い出し、どこかウキウキした気持ちでいられている自分は、まだ希望を捨てていないのだろう‥。

不便な毎日を過ごす辛さ

現在、精神疾患のおかげで仕事を長期休暇で休んでいますが、パワハラの認定もされず、休暇中の給与補償もなく不憫な対応を取られています。唯一、パワハラで負った肋骨の骨折については、何とか労災扱いとなりましたが、実費を払い終えた2日後に、病院から連絡が入り、会社側から何の連絡もありませんでした。ケガを負わせた本人は、反省する事無く、現在でも会社に平気で出勤している次第です。パワハラの抗議をしたにも関わらず、取り合ってくれませんでした。労働基準局にも相談に行き、指導に入られたのですが、会社から何の音沙汰もなく、平然としていました。再度、労働基準局に相談したところ、あっせん申請書の手続きが出来る事を知り、申請をしたところ会社側は出席を拒否した事から、あっせんはその時点で、中止になってしまいました。法律事務所にも相談しましたが、裁判に勝てるのは難しいと言われ断念をしました。それから、精神状態は、益々酷くなるばかりで収入源が減り、障害者年金だけで生活して行かなければならず、支払いが滞る物や、サービス提供の中止を受けるまでになりました。こんな状態で、普通を保ち続けられる人は少ないと思います。もう、死んでしまいたいと毎日思います。実際にリストカットをする回数も増えました。病院に行っても、なかなか入院もさせてくれません。振り返れば、似たような状況は、今回だけではなく過去にも5件ほどあり、人間不信へと変わり正社員として働く事が出来なくなりました。世の中は、障害者や弱者を何とも思っていないのが現実なのです。法律すら味方にもなってくれないのです。一体何を信じたらいいのですか?福祉関係の施設を利用した事があるのですが、職員はまるで人ごとの様にしか対応をしてくれません。こんな不便な毎日を生きて行く事に疲れました。この辛さは、なってみないと分かりません。過去にリストカットを含め、自殺未遂を5回しました。周りの人は、心が弱いからだとか、我慢が足りないとか言うけど、簡単に言わないで欲しい。何時、本当に死んでしまうか分からないけど、その時が来たら今まで関わった人達を恨んで、逝こう。

彼女との馴れ初めを、

ぼくは今の今まで忘れていたらしい。いつも同じようなシチュエーションでの逢瀬だし、やることも変わらないせいか。ぼくばかりが先導して事を調節して来たように思い込んで来たけれど、どうやらそれは ぼくがお望みの偏見だったらしい。例えば、あの人の意思を躙り潰さぬよう、一手進むごとに面を仰いで あの人の気持ちを確かめながら、慎重に一歩ずつ近づいて行ったことなど。でも、そんな優しさだけだったら、キスやハグ止まりで、今みたいな侵略の関係にまで行かなかったに違いない。あの彼女からの強引な一押しがなければね。ぼくが前に書いた意味深な文章は、これを含意していたんだな。それは強姦ともいえるかもしれない。そして「ぼくが望んでいたことをしてくれた。」というくだりは 自己防衛のための正当化といえるかもしれない。何とでもいえるだろう。そして何を言っても本当のことなど 当事者であるぼくには 述べられないのだろう。あの人の濃紅にたつ香りや ミルクのごとき温もり、為てきたことが みんなしっくりと ぼくの体に収まっていった必然感も。涙も干上がり、抗いもぴたりと止み 逃げようとする脚も萎えてしまった。彼女が着けていた迷宮のような下着をぼくが剥いで彼女を押し倒したような気さえする。
最初は面白可笑しく話していたんだ、昨日は自慰も上手く行ったことだし。あまりに奥手で進捗の望めないぼくにやきもきを募らせた揚句、横に並んだぼくの手首を掴んで、胸や股などの局部に誘導されては、感電したかのように引っ込め、「誘ってるの?」と真面に問うて萎縮させるというやりとりを 何日かに分けて数回繰り返したのちに、彼女がぼくの掌を人形のように指の関節を好きな形に曲げて、あの部分に押し当てて為だしたことを。金縛りになって成す術がなく前方の宙空を睨んでいたぼくの盗まれた指先から伝わってくるその部分が、不思議なほど、ただの柔らかく熱い肉の感触なのに、彼女の体の動きや声を頼りにするのか、どこに触れているのか、自分の対応する部位をそう為れているかのように、まるで目の前にして触れているかのように視えて感じられた。その後は、もうケツに火が点いて、正面に飛び込んでいくしか道はなかったのは 言わずもがな。彼女の、ぼくに比べれば 短気と積極さ 熱情がなければ、女同士の媾いに本番がないとすれば、前々戯ともいえるペッティングに数時間も費やすのがぼくの定石なのだから。脚を閉じた状態から、自分で為るときですらも触らないような際の隅まで丹念に触れまわり、己づから求めてせがんで哀願してくるまで、核には触れない。決して強引にしないのが、ぼくの彼女への敬意と、自分がしてほしい慰撫であり、それを彼女も歓迎してくれていると信じていたし、その行き過ぎた焦らしプレイを楽しんでくれる時も あるにはあると思うけれど。

彼のバイクで海辺まで

ベランダの展望は、南西の真向かいにマンションがあるだけで、周囲に他に 電波塔以外の高い建造物がないせいで、建物の際にあたる東北の方角には、空気が澄んで天候が良ければ 辛うじて海が臨めるのだけれど、そうでなくて 曇っていても靄けていても 夜のつつ闇であってさえも、彼女のいるその方角を眺めては、考えてしまう、記憶に優勢な 何でも呑み込む無限のブラックホールみたいな 夜の感触ばかりを追うせいで、いざ会い目にすると、実際のその体躯の小ささに はかなさに 泣きそうになる。
真っ暗になって、いつしか家に来て背後にいたRの顔も見ぬままに思わずに「海が見たいな」と口走ったら、本当に海まで行くかと持ちかけられ、その返答は予想だにしていなかったから、でももう夜だし暗いし風も冷たくて寒いし さすがに悪いよと遠慮したら、「おれも走りたいから」と、彼のバイクで海辺まで。
ぼくらの家がある市街地の外れから海までは、車で45分もあれば着く。樹林のなかに点在する民家と工場と、生き物みたいに聳つ背の高い路灯以外には、人一人いない (実際には、街灯の下に屯っていた、軽装の地元のギャングが数人、ぼくらに後続し 道路の真ん中に出て 卑猥なことばを投げつけ囃し立ててきたが)、他所よそしく ただ広い夜の郊外を、運転するRの腰にしがみついて体を預けて、向かい風に煽られて走り抜け、駐車場にバイクは停めて、今はもううち捨てられたような海の家と木のベンチとテーブルのある小さな砂浜の、水に濡れない ぎりぎりの渚に 二人並んで 身を密着させて居た。
前の駐車場には車、横の船着き場には 私用の小舟が たくさん停/泊めてあったが、持ち主はどこへやら、周りには誰もおらず、坂を下って低まったところにて、民家の窓明かりも 防波堤と木立に隠れ、午後からの強風は少し弱まってきていたけれど、それでも、至近距離でも会話が成り立たない轟音でとり巻き、体の熱を奪っていくし、砂が入るから目を開いていられないし、海は地獄へと引きずり込むように黒々と 寄せ退き 一時毎に姿を変え うごめく瀾はただ恐ろしく、遠くの岬の発電所の灯りすらも冷ややかで、どう転んでもロマンチックなムードには持ち込めそうもない荒寥のなか、それでもRくんは笑顔をつくって、吻づけをしてくれた。浜辺の際の電灯に皓く照らされた笑顔が綺麗だった。最近生やし始めた口髭の感触が擽ばゆかった。
この辺は、地形が入り組んで、幾重もの湾に囲まれた内側だから、遠くの海も大陸も臨める筈がないのは分かりきっていたが、互いの体温しか頼れそうなもののない辛辣な場に身を寄せるのが 自縄自縛性もあり どこか心づよく、寒さと退屈が限界に達するまで、何時間か頑張って座っていた。

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